kobarinのダイアリーノート

日々日常や思った事、感じた事を書き綴ります。 ちょっと飛んだ事も書きますが・・。

2008年12月

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年末年始休みが昨日から始まったのですが
昨日、今日と午前9時起き。
こちら(新潟県)は昨日、今日と荒れ模様の天気
仕事納め&大掃除の29日は晴れてたのに・・。
大掃除は29日と(30日に残りを少しカレンダーを2009年のものにしたり等)

で今はネットサーフィンをしたりこうやってブログをかいたりしています。

「よいお年を」
(って誰に???笑)

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ブログネタ
2008年を振り返りましょう! に参加中!
2008年の今日は「みそか」。
今年については激動というか今までなかった経験を
たくさんした年でした。

そこでいろいろと気づいた事もありました。

というのも人々は狭い処に基準も厳密でないのに
ひしめき合ってたりすると、細かな事でも気になったりしたり
ある意味“バランス”が“均衡”しないと「やっていけない」
ものがある。だからこそ存在する商品や商売があるし、
また「この場所」に「なんでコイツがいるんだよ!」とかいうのに
ついてはやはり“こみいった事情・理由”があるからであり
一方的に「なんで・・」みたいな事言ったり思う方が偏っているし
間違っている。となる。

こうしてみると、自分自身の昔もひっくるめて考えると
実際のところ「悪い」のは自分の方だった。
自分が「そこにいる」となると、普通に考えてまかり通してはいけない
事までまかり通さなければならなくなってしまう。
結局私はその「ファミリー」の人であるものの「本流」みたいなとこから
するとまったく別の流れというか「系統」が違うというか・・。
これでは私の方が何か“要求”すること自体「悪い」。
(『悪い』と判ってても自分の中で割り切れないものがあるのも確か)

(※今、自分で書いたこのブログを読んでみて、何か私は『不幸』に
された過去があるのかな?・・あれこれ言ったところで『先方』だって
どうなんだ?とかなる・・。でも傍側の者が『先方』と私を天秤に
かけたらどっちの方をとったのかとなれば・・。)

まとめると、今まで「自分の事ととして」望んではいけない事や
持ってはいけない夢を持っていたのかも。(傍からみて私が『そうである』
事が許せなく、無性に腹が立つのであればそれまでだけど)

来年2009年の「目標」があるとしたら、擬似的にでも
「それらしく」出来、さらに「自分」の後々の「姿」が少しでも
「はっきり」出来るように。



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「罪」を憎んで「人」を憎んだり
“ひどい事”をされたのならその分人に対して優しくならなければ
ならない。という暗黙の決まりを破ったり・・。
これらの事をしてしまった為。今の自分がある。
結局、「相手」の方が「勝ち」だったという事か・・。

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例えば自分が酷いことを言われたとかされた。
といってもそれは「あなたのためを思ってのこと」
はたからみて「いじめ」「行き過ぎ」「悪意」が感じられたとしても。
なぜなら自分がいる「クラス」からすると、冒頭でかいたようなことを
するような人達(本人ではないにしろ同類の人達も含め)に長期的にみて
「助けて」もらわない限りやっていけないし社会的にいっぱしのものを
得る事が出来ないし出来ないようになっている。
ならばある期間、黙ってるべくものは黙ってるべき。「この場合特別
なんだ」と自分に言い聞かせ吞まなければならない。
それなのにやけをこいたり、どこかに八つ当たりをすれば
ある意味つながりを絶つもの。
これでは初対面の人から見ても何だかイヤな空気やにおいが
(自分に)まとわりつく。

今頃気づいても、もはや断たれた道(ルート)があり、
「ならば・・」といって何処かをアテにしても、もはや
(今から)20年先の青写真さえ出来てて「そこに自分が」というのも・・。
って状態なので何か・・。
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ここ何年か、自分は勘違いというか間違った考えや感覚があったかな?

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私は、自分に対し自分を読み間違えていた。あと「決まり」や「法則」というものを
わからなすぎた。例えば、ズルをしたり嘘をつき“足切り”を免れようとしたりとか
実際のトコ“足切り”をされた者でも受け入れられる受け皿があるのに。基本的に皆
対等である事さえ知らなすぎた。(人は生まれつき属してる“シェア”があり、
生まれつきある“尺の範囲”がある。それに『法定上』の関係と『実態上』の関係
は混同できないもの)

昔の話になるが、東京の専門学校の時、うまくいかず、就職できなかったのに
東京に居たが、結局半年で実家に戻る。という経歴。戻った後も「またいつか。」
なんて思っていたが、(今となってみて)そういう思い(気持ち)が自分にあったのなら
その前に「やるべくこと」がある。その「やるべくこと」を私はやらなかったし、
望まなかったし、「何でそこにそれが必要なんだよ!」とかあれやこれや・・。
これについては、自分の方から言ったり、思ったり、考えたりする筋合いがなく、
ないようになっている。ただ“言われたとおりにしろ”との事。
何か元々「なぜいけなかったのか?」わかっていなかったのではないか?
“敷居をまたぐ力がなかった”。
これでは考え方から何から偏り過ぎてて自分自身の心のバランスを崩し、それが
自分自身の表に出ていた。と。何だか自分も苦しいが、これらが原因で自分の
知らないところで「敵」をたくさんつくる事になってしまった。

「言葉の暴力」というものがあるが「思想や願望の暴力」というものもある。

どこかで聞いた「女親は男の子供にふみこんではいけないところまで
ふみこんではいけない。そのあたり程加減には注意してる。」
「人を扱う仕事では人を不幸にしないよう心かげている。」
もしもこのあたりで何かあったのなら、何か熱意や勇気を削ぐ(殺ぐ)結果を
招いてしまう。続きを読む

12月2日はある事件の被害者の命日という。
もっともそのある事件の被害者に何か属性が違うところへ行った人
個人的にあまりこの被害者に対し悪印象しかない。
何かなめてるというか・・。
デレスケ正和

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