昔、俺とラリった友達で地元の広報の(地元の同学年の)成人式がとりあげられている記事をみて友達はどでじ(↓)が写っているのをみて「人は漠然とした特徴しか、見ないからね。(集合写真だと)みんな同じようにみえる。そこにどこか不心得なのが一人いるとその一人が変に目について、その一人のせいでみんなひきづられてしまう。・・腐ったみかんはいらない。」といったような事を言ってたのを思い出した。だが、どでじの件についていうと、結果的に町中の同級生は皆でどでじをいじめていた訳で、だが世間の視点からすると、どでじのような(軽い)言語障害持ちで、親がアル中で家がどうたら・・。って感じ。この類の者をいじめるような事は本来ありえないし、どでじにも問題があってもある程度“黙認”しなければならない。というもの。“腐ったみかん”・どでじを裏を返してみると、同級生達は、小さい頃から長い事、馬鹿(“腐ったみかん”・どでじ)をかまってた為、成人する頃には、皆(俺、ラリった友達も含め)馬鹿とは言わないまでもスレたり、浮世離れしたものがどこかどこかにある。となってしまった。といえるが・・。話を変わる、この広報をよく見ると・・。
右端・右から三番目は「ココリコ」じゃないか?という事はもしかしたら、(私の)友人I氏と顔が似てる「ロンブー」がひょっとしたら??
今となると心なしかテレ東製作のバラエティー番組「遠藤淳」の見方が・・。